主にぶいしくすさんのことについて。
ゆるーくひっそり。
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ついにこの日が来てしまいましたね。
土曜の朝6時。
夜更かし大好きな雨沢はこの早過ぎる放送時間に何度も泣かされました。
金曜の夜に明日は休みだー!って深夜までテレビ見てたりすると、知らないうちに寝ちゃうんだよね。録画予約もせず。
でも今日はちゃんと起きていました。
ポンキッキーズ、最終回。
雨沢は当初イノハラさんが「おにいさん」になることに少々不満でした。
今更ちびっこをターゲットに人気を集めてどうしようってんだ!と。
それならもっとグループ活動に還元できる仕事をしてほしい、なんて思っていました。
以前やっていた「真夜中の王国」のように、音楽やエンターテイメント界に関連のある仕事をして次に繋げてほしい、と。
大体、ちびっこ相手ならすでにティガがいるじゃないですかと。
あまり期待していなかったのです。
それがいざ蓋を開けてみると。
まー唄う唄う!
下手な歌番組より唄って、弾いて、笑顔ふりまきまくりじゃないですか。
なにより彼があまりにもイノハラヨシヒコそのままで、このギャクはちびっこに分かるのか?そのネタはちびっこに伝わらないんじゃ…と心配になってしまうこともしばしば。
なんたって初回のお題「あ」のつく言葉で彼は「あんきも」って言ってましたからね。
おい!それつまみだよ!酒には合うかもしれないけど、ちびっこはわからんて!
番組の中では誕生日を祝う歌が多かったですね。企画とも連動してのことですが。
今となってはファンの間で伝説となっている2003年5月17日のトニコンで、観客ももちろん仕掛けられた人も仕掛けたメンバーでさえも泣きまくり感動しまくりとなったあのバースデーサプライズの記憶も、この番組の歌とともにある。
またそのサプライズ企画に快く協力してくれたポンキスタッフ。大号泣のイノハラさんの顔をピンクの手(袋)で拭ってくれたムックとか。
それを放送してくれたこととか。
なんだかいつのまにか、わたしの中であって当たり前のなくてはならない番組になっていた。
イノハラさんの肩書きの中に、「ポンキのいのっち」がいつでも存在していた。
余談になっちゃうけど、サプライズで泣いてよれよれになったイノハラさんの「27年前に生まれてきただけなのに」という言葉は、なんか今でも心の奥底に響いてくるし、ポンキでイノハラさんが唄っていた「僕らは生まれてきてほんとによかった」っていう歌は最高のバースデーソングだと思う。
あなたが生まれてきてくれたことだけじゃなく、
あなたと私とみんなが生まれてきて出会えたことにおめでとう
なんかもう、小さな子どものためだけの歌じゃないよね。
それはこの番組自体がそうだったように。
この番組で、コントやウケ狙いとはまた違ったある意味本気のコスプレが見れたのも新鮮でした。
まさか女装までやるとは思ってませんでしたが、しかしそれでも「おりひめ」や「フライトアテンダント」はちびっこに向けた真剣な女装だったと思います。(なんか変な言い方…)
ちなみにわたしはワクワクワークはじめ数々のコスプレの中で、なぜか「数学教師」が一番好きでした。
あ、あと「とうふ屋」と「お内裏さま」も好き。余談ですが。
ゆるやかな変化を望む番組だったと思います。
多くの歌は空で口ずさむことができるほど、何ヶ月にもわたって繰り返し歌われ続けていました。
春に近づけばいちねんせいのための歌を。夏は夏休み。それが過ぎればやきいも。冬はジングルベルロックが印象的かな。
日々の行事にも敏感に、そしてなにより子どもたちのお誕生日を大切に。
エミ〜ジョとサイボーグ三瓶の出演が最後のときも、明確なお別れの表現はされなかったと記憶しています。
いつものように迎えた番組の最後で、イノハラさんが「4月になったら別れてしまう友だちもいるけど、新しい場所でもがんばって」なんてことを言って、それを二人が「うん、うん」って注視しながら聞いていた。
次の週から二人の姿がなくなって、え?!って驚いたのを覚えてる。
それはちびっこに対しての配慮だったのかな。
そんな中で今回、きちんとお別れをしてくれたこと。
うれしかった。
もちろんすっごくどうしようもなく淋しいのだけれど。
イノハラさんが出演していた5年の間にはポンキ30周年なんてな一大イベントもあって、そんな大事な瞬間に輪の真ん中に立っていてくれたことは、もはやイノハラさんを差し引いても好きになってしまったこの番組のことを含めてなんかもうすごいことだなって思うよ。
何かの雑誌で「一番最初にオファーが来たのは実は高校生のときだった」と話していた彼が、その時から10年経てここにいるということ。
なんだよそれもう運命じゃないの。
初回の彼は、今のカミセンより若かったのですね。
お決まりの締めくくりの言葉。
いつもとちがうのは「今週の」が取れて、「ポンキッキーズはここまで!」という言葉。胸を締め付けられる想いでした。
「最後はみんな一緒に、せーのっ」
というその瞬間も笑顔で。
最後の最後、ジャカジャカじゃんけんは何を出すのか予想がついていました。
上に向かって力強く、前に突き進むための「グー」。
アナタそればっかりね!なんて泣きながら笑っちゃいました。
新しい場所へ行ってしまうのは淋しい、悲しいことですね。
4月から枠を変えて新たに始まるという「ポンキッキ」を見ることはなかなかできないかもしれません。
でも、視聴者としてこの番組と関わり、感動したり楽しんだり発見したりしたことなんかは忘れないんじゃないかと思います。
それはまぁ、これからもこの先もイノハラさんを応援していくつもりですから心に残るのは当然なんですけど。
それ抜きだって好きだぜ。
いや、いまのところイノハラという要素を完全に抜きにしたらどうかってのは正確にはそうなってみないとわからないからやっぱりイノハラ含め。
どうしてもイノハラのファンという立場からの言葉ですけど。
でもとにかくもうこの番組にはありがとうと言いたいんだ!
もし自分に子どもが生まれて、そのときもまだこの番組があったなら、
迷わずその子と一緒に見ると思います。
ありがとう。
たくさんの歌と音楽と踊りと世界中の楽器といろんな国のママの料理と「いただきます」と色とりどりの野菜とちょっとまずいジュースとビッグジェンガとドレミパイプとありとあらゆる工作と日本中のお仕事とサタデーキッズキャンプとそこらじゅうのらくがきと
たくさん、たっっくさんの子どもたちのお誕生日と
うさぎとねずみとコニーとPとチビミミとくまとライオンとヤサイ星人とサイボーグと魔女とこうもりと恐竜と雪男と人間。
大好きです。
またいつか。
(旧blogより)
土曜の朝6時。
夜更かし大好きな雨沢はこの早過ぎる放送時間に何度も泣かされました。
金曜の夜に明日は休みだー!って深夜までテレビ見てたりすると、知らないうちに寝ちゃうんだよね。録画予約もせず。
でも今日はちゃんと起きていました。
ポンキッキーズ、最終回。
雨沢は当初イノハラさんが「おにいさん」になることに少々不満でした。
今更ちびっこをターゲットに人気を集めてどうしようってんだ!と。
それならもっとグループ活動に還元できる仕事をしてほしい、なんて思っていました。
以前やっていた「真夜中の王国」のように、音楽やエンターテイメント界に関連のある仕事をして次に繋げてほしい、と。
大体、ちびっこ相手ならすでにティガがいるじゃないですかと。
あまり期待していなかったのです。
それがいざ蓋を開けてみると。
まー唄う唄う!
下手な歌番組より唄って、弾いて、笑顔ふりまきまくりじゃないですか。
なにより彼があまりにもイノハラヨシヒコそのままで、このギャクはちびっこに分かるのか?そのネタはちびっこに伝わらないんじゃ…と心配になってしまうこともしばしば。
なんたって初回のお題「あ」のつく言葉で彼は「あんきも」って言ってましたからね。
おい!それつまみだよ!酒には合うかもしれないけど、ちびっこはわからんて!
番組の中では誕生日を祝う歌が多かったですね。企画とも連動してのことですが。
今となってはファンの間で伝説となっている2003年5月17日のトニコンで、観客ももちろん仕掛けられた人も仕掛けたメンバーでさえも泣きまくり感動しまくりとなったあのバースデーサプライズの記憶も、この番組の歌とともにある。
またそのサプライズ企画に快く協力してくれたポンキスタッフ。大号泣のイノハラさんの顔をピンクの手(袋)で拭ってくれたムックとか。
それを放送してくれたこととか。
なんだかいつのまにか、わたしの中であって当たり前のなくてはならない番組になっていた。
イノハラさんの肩書きの中に、「ポンキのいのっち」がいつでも存在していた。
余談になっちゃうけど、サプライズで泣いてよれよれになったイノハラさんの「27年前に生まれてきただけなのに」という言葉は、なんか今でも心の奥底に響いてくるし、ポンキでイノハラさんが唄っていた「僕らは生まれてきてほんとによかった」っていう歌は最高のバースデーソングだと思う。
あなたが生まれてきてくれたことだけじゃなく、
あなたと私とみんなが生まれてきて出会えたことにおめでとう
なんかもう、小さな子どものためだけの歌じゃないよね。
それはこの番組自体がそうだったように。
この番組で、コントやウケ狙いとはまた違ったある意味本気のコスプレが見れたのも新鮮でした。
まさか女装までやるとは思ってませんでしたが、しかしそれでも「おりひめ」や「フライトアテンダント」はちびっこに向けた真剣な女装だったと思います。(なんか変な言い方…)
ちなみにわたしはワクワクワークはじめ数々のコスプレの中で、なぜか「数学教師」が一番好きでした。
あ、あと「とうふ屋」と「お内裏さま」も好き。余談ですが。
ゆるやかな変化を望む番組だったと思います。
多くの歌は空で口ずさむことができるほど、何ヶ月にもわたって繰り返し歌われ続けていました。
春に近づけばいちねんせいのための歌を。夏は夏休み。それが過ぎればやきいも。冬はジングルベルロックが印象的かな。
日々の行事にも敏感に、そしてなにより子どもたちのお誕生日を大切に。
エミ〜ジョとサイボーグ三瓶の出演が最後のときも、明確なお別れの表現はされなかったと記憶しています。
いつものように迎えた番組の最後で、イノハラさんが「4月になったら別れてしまう友だちもいるけど、新しい場所でもがんばって」なんてことを言って、それを二人が「うん、うん」って注視しながら聞いていた。
次の週から二人の姿がなくなって、え?!って驚いたのを覚えてる。
それはちびっこに対しての配慮だったのかな。
そんな中で今回、きちんとお別れをしてくれたこと。
うれしかった。
もちろんすっごくどうしようもなく淋しいのだけれど。
イノハラさんが出演していた5年の間にはポンキ30周年なんてな一大イベントもあって、そんな大事な瞬間に輪の真ん中に立っていてくれたことは、もはやイノハラさんを差し引いても好きになってしまったこの番組のことを含めてなんかもうすごいことだなって思うよ。
何かの雑誌で「一番最初にオファーが来たのは実は高校生のときだった」と話していた彼が、その時から10年経てここにいるということ。
なんだよそれもう運命じゃないの。
初回の彼は、今のカミセンより若かったのですね。
お決まりの締めくくりの言葉。
いつもとちがうのは「今週の」が取れて、「ポンキッキーズはここまで!」という言葉。胸を締め付けられる想いでした。
「最後はみんな一緒に、せーのっ」
というその瞬間も笑顔で。
最後の最後、ジャカジャカじゃんけんは何を出すのか予想がついていました。
上に向かって力強く、前に突き進むための「グー」。
アナタそればっかりね!なんて泣きながら笑っちゃいました。
新しい場所へ行ってしまうのは淋しい、悲しいことですね。
4月から枠を変えて新たに始まるという「ポンキッキ」を見ることはなかなかできないかもしれません。
でも、視聴者としてこの番組と関わり、感動したり楽しんだり発見したりしたことなんかは忘れないんじゃないかと思います。
それはまぁ、これからもこの先もイノハラさんを応援していくつもりですから心に残るのは当然なんですけど。
それ抜きだって好きだぜ。
いや、いまのところイノハラという要素を完全に抜きにしたらどうかってのは正確にはそうなってみないとわからないからやっぱりイノハラ含め。
どうしてもイノハラのファンという立場からの言葉ですけど。
でもとにかくもうこの番組にはありがとうと言いたいんだ!
もし自分に子どもが生まれて、そのときもまだこの番組があったなら、
迷わずその子と一緒に見ると思います。
ありがとう。
たくさんの歌と音楽と踊りと世界中の楽器といろんな国のママの料理と「いただきます」と色とりどりの野菜とちょっとまずいジュースとビッグジェンガとドレミパイプとありとあらゆる工作と日本中のお仕事とサタデーキッズキャンプとそこらじゅうのらくがきと
たくさん、たっっくさんの子どもたちのお誕生日と
うさぎとねずみとコニーとPとチビミミとくまとライオンとヤサイ星人とサイボーグと魔女とこうもりと恐竜と雪男と人間。
大好きです。
またいつか。
(旧blogより)
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